雷震先生設立長安小学校旧址、湖州長興陳武帝故宮(2021年)
台湾の民主化に大きな貢献があった人物の一人として挙げられる雷震先生は、現在の浙江省湖州市長興県の出身で、東京の東亜高等予備学校、旧制第一高等学校特設予科、名古屋の旧制第八高等学校、京都帝国大学法学部・大学院での留学経験があり、その後、中華民国政府で要職を務められました。国共内戦の末期、雷震先生は上海で雑誌「自由中国」の創刊を準備していましたが、中共軍の南下速度が速かったがために、1949年11月に台湾で雑誌「自由中国」を創刊しました。そして、自由中国社の社長として、1950年代の台湾の言論界をリードしました。ただ、1950年代において、一部の知識人達は今こそ台湾で民主化を推し進めるべきだと考えたのに対し、中国国民党蒋介石政権は統制強化を企図し、両者の間には発展の方向性において大きな隔たりがありました。実は、憲法の規定により、総統職の再任回数は一度限りが許されていたわけですが、蒋介石政権二期目の後半においては、当然ながら、三連投問題や野党設立問題が議論されることになりました。しかしながら、1960年3月、臨時条項の規定を変更して、憲法上の再任に関する規定を凍結することによって、蒋介石は総統選に出馬し、三連投を果たしました。これに対して、雷震先生は傅正先生等とともに野党たる中国民主党の創設を準備していたところ、1960年9月、中国国民党蒋介石政権によって逮捕されてしまいました。これが自由中国事件、雷震事件です。雷震先生は10年間の服役を終えて、1970年に出所後、1979年に逝去されました。そして、月日は流れ、2002年9月になって、民進党陳水扁政権の下で名誉が回復されました。
続いて、本動画の内容について補足すると、呉山大橋は、従来の旧大橋であり、その後、東側に新大橋が開通して、便利になったようです。長安小学校は、雷震先生が地元呉山小渓口村に設立したもので、1935年に完成して使用されました。日中戦争期には、雷震先生の地元でも日本軍による掃討作戦が実施され、長安小学校も損害を受けたとのことであり、雷震先生の母親も日本軍によって殺害されてしまいました。現在、弘怙堂という名称の建物が長安小学校旧址陳列館、小溪口村郷賢館として使用されていて、その西側は再開発によって総合市場になっています。
北塘頭長安橋は、湖州市安吉県梅溪鎮小溪口村北塘頭自然村にあり、清代に建設され、現在は安吉県県級文化財保護対象に指定されており、橋が架かっている小溪河は、東側の湖州市長興県和平鎮小溪口村と西側の湖州市安吉県梅溪鎮小溪口村の境界をなす川となっています。
2021年4月の現地撮影から4年余りが過ぎました。この間、上海から長興へ直通の高速鉄道も開通しまして、上海等から訪れるのもさらに便利になりました。湖州市長興県やその周辺地域には、他にも、中国南北朝時代陳朝陳武帝陳覇先の故宮や太湖等の優良観光地があり、長興紫筍茶や安吉白茶といった特産品の産地でもありますので、ぜひお越しください。
なお、雷震先生に関しては、台湾出身の著者が執筆して台湾で出版された伝記作品の他に、大陸出身の著者が執筆して大陸と台湾の両方で出版された伝記作品もあります。この内、台湾出身の著者が執筆して台湾で出版された伝記作品については、日本語版が2025年2月に日本国内の出版社から出版されたようですので、日本国内での雷震先生の知名度が上がるといいですね。さらに付け加えると、雷震先生が創刊された雑誌「自由中国」で編集者として活躍された台湾大学哲学教授殷海光先生が、国共内戦期の上海で出版された「中国共産党之観察」については、2023年7月に日本語版が弊社によって翻訳出版されました。ぜひお買い求めください。
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