中国現地採用外国籍労働者の上海社会保険料追納労働仲裁勝訴から10年

事の始まりは、2009年に上海当局が外国籍でも上海従業員社会保険に加入可能という通達を発したのを機に会社側と交渉すると、雇用契約の解除を強要されたことであった。二社目と三社目では加入できたものの、三社目は折悪く尖閣反日運動の時期に重なり、雇用のニーズが激減する中、やむを得ず、人材会社がせがむ実名と連絡先を伏せた上での履歴書のばら撒きに途中から応じると、忍び寄って来たのはブラック企業であり、私の就労許可申請を阻もうと企み、それを振り切って取得すると、試用期間中に雇用契約を解除されたのであった。早くから予約していた台湾旅行から上海に戻ると、とある日本語人材が私の同意なく個人情報を別の人材会社に流し、面接を強要されて、この四社目との面接に赴いたが、面接では社会保険への加入に同意したにも関わらず、実際には加入拒否であり、最終的に雇用契約を解除され、遂に労働仲裁を申し立て、2013年9月9日付けの仲裁判断で勝訴した。その後も不服申し立てを受けたが、棄却となって仲裁判断が確定した。しかし、強制執行段階で、被告企業の登記地を管轄する裁判所は執行せず、労働当局に問題を反映するようにとのことであったため、今度は被告企業の所在地を管轄する裁判所に再度強制執行を申請するとともに、労働当局へも通報すると、被告企業はそもそも違法に社会保険登記を行っていなかったことが判明。また、中国籍従業員は全員が派遣社員なのであった。その後、2014年になって漸く社会保険料の追納に成功した。ただ、医療保険のシステムは新たな企業に雇用されて保険料の納付を再開しないと、過去の追納情報を確認できないという仕様であったため、追納を完全に確認できたのは、後に自分で会社を設立して自分のために保険料の納付を開始してからのこととなった。

労働仲裁では社会保険料の追納と雇用契約の継続とを別の案件として分けて申し立てる必要があり、2013年9月9日付けのもう一つの仲裁判断で、雇用契約の継続と仲裁期間中の給与の支払いという請求が認められたが、労働裁判一審判決では判決日前に就労許可の期限が到来して延長されていないため、もはや契約を続行できない状態にあるとか、口頭弁論時に裁判官の誘導により、請求内容を雇用契約の継続から、違法解雇賠償金の支払いへと変更することに私が同意したという判断がなされた。二審では口頭弁論期日ギリギリまでしかビザが延長されなかったため、口頭弁論を終えると、当日そのまま上海総領事館に赴き、領事に面会して経緯を説明するとともに、日中社会保障協定の早期締結を要請。翌日に上海発、九龍紅磡行きの寝台列車に乗って香港に赴いて中国ビザを再申請。ビザの発行待ちの時間を利用して、一部の労働組合、政党、NGOを訪問して事情を説明した。訴訟請求では雇用契約の継続を求めていたため、上海に戻った後、就労ビザではなく、留学ビザに切り替えた。二審判決では、解雇の違法性が明確化されて、賠償金が支払われた。続く再審段階は、著名な労働法専門家のいる大学院法学研究科にて学んでいるときであった。入学して一年近くになった夏休み前の時期、同級生が何人も相次いで交通事故に遭ったり、私の乗っているバスが大学を出発して暫くして前側に停車中の自動車に不自然に追突するというような各種異常現象が続発。遂に2015年8月、私がバスに乗り込んでまだ着席していないときに、左側後方から加速してバスを追い抜き、バスの前側を急に右折して道路の右側のガソリンスタンドに割り込んだ自動車により、バスの運転手は急ブレーキを踏まされて、私はバスの最後部から前方まで数m吹っ飛ばされて骨折し、そのままバスで病院に運び込まれた。当日夜は、僅かでも動くと痛むので、眠りに就くのもなかなか大変であった。携帯電話は起動できない状態にあり、警察による現場検証、実況見分は行われなかったため、翌日、骨折している状態のまま、気合で最寄りの派出所まで2km余りの道程を一歩ずつ激痛に耐えながら訪れたが、受理されず、手術の翌日に、事故現場を管轄する交通センターとガソリンスタンドを訪問して事故の映像を確認。退院日に、病院からバス会社職員とともに交通警察に赴いて交通事故証明書が発行された。そして、長いリハビリ訓練を経て、翌年、体内に埋め込まれたプレートを取り除く二度目の手術を受けた。

退院してから一週間後に、障害鑑定センター付近の路上で、あろうことか、喚く外地出身の姉妹に絡まれ、追い掛けられて怪我をさせられてしまった。現場でも、派出所内でも、これまでかという程の詭弁で、逆に私に賠償の支払いを要求してくる始末であったため、炎天下の中、証人探しと証拠映像の取得のために、来る日も来る日も現場周辺や関係部署に赴いた。映像の保存期限が迫るため、提訴を急いだが、組織を訴えるのは簡単でも、個人を訴えるのはなかなか大変であり、裁判所の要求により、今回は、やむを得ず、高齢の弁護士を立て、実際にはほとんど全てを自分で処理し、裁判所にて調査令の発行手続きの際には来てもらって発行に成功したが、現場に赴いて、いざそれを提示しても、そんなものは偽物だとか、裁判所の執行官が来ない限り開示拒否だとか、非協力的態度に満ち溢れ、一方では、ここぞとばかり、映像の高額買取を持ち掛けられたりもした。被告姉妹は裁判所での調停に拒否であったため、被告の地元を訪ねてみると、農村には住居表示プレートが貼られていない家屋が多く、何日も掛けて漸く被告の実家を探し当て、被告の母親と思われる人物に会うことができたが、父親と思われる人物が問答無用で鍬を持って殺してやるぞとばかりに走り寄って来たので、隣の家まで走り、あれが本人かどうかも不明であるため、事情を説明して確認していると、さらに追い掛けて来たので、隣の村まで道なき道を走って逃れた。その後、被告本人が裁判所での調停のためにやって来たが、私が雇った高齢の弁護士は被告側に味方する始末。被告はここでも詭弁を展開した。被告がこれまでに置かれてきた環境はあまり良くなかったようであることはある程度、分かっていたので、嫁ぎたいなら受け容れ可能とまで言ってやり、最終的に僅か数百元(数千円)の賠償金が私に支払われた。その後、被告からの連絡はない。

一方、留学生商業医療保険は強制加入となっており、やむを得ず、保険料を大学に支払ったが、事故後の入院中に大学職員は一部腐った果物を持参して来て、安心して休め等と宣ったが、実際には、大学が保険開始日を入学日よりも前に設定していたため、本来ならまだ保険期間中であるはずであるのに、実際には事故当日は保険期間が過ぎ去っていたという理由で、保険会社から保険金の支払いが拒否された。これに対し、保険料は学校等が代理受領してはならないという当局の通達を探し当てた上で、保険当局に通報して、漸く保険料が支払われたのであった。可笑しいとは思っていたが、道理で、保険料のインボイス発行を何度請求しても渋ったりしていた訳である。

こうした闘いの中で、解決しなければならないのは、やはりビザであり、当時暮らしていた浦東金橋にある金橋開発区にて会社設立を試みたが、「和平(上海)法律翻訳有限公司」の名称は不受理で、「和平(上海)翻訳有限公司」は受理後に却下され、治療とリハビリ訓練のために大学院を中退して、なんとか医療ビザに切り替えることができた。その後、外高橋保税区にて私が列記した数ある候補の中から、ある意味、当局に選ばれて「和文(上海)翻訳有限公司」の名称が認められたが、外資と内資とでは金額に大きな差がある登記住所使用料を提示してくる業者もおり、最終的に、崇明区にて会社を設立することにした。英語名称は本来の中国語会社名称と設立理念も勘案して、Peace Culture (Shanghai) Translation Co., Ltd.とした。しかし、会社の監査役を知人に頼んだが、いずれも拒否され、やむを得ず、母親になってもらうことにしたが、パスポートを郵送して安全な受取を確実には保証できないとの業者の回答により、裁判中であるにも関わらず、急遽、日本の実家に戻って、再び上海浦東空港に降り立つと、調停日を通知する裁判所からのショートメッセージを受け取るという具合であった。

2016年11月に会社設立に成功。迎えた2017年に交通事故訴訟を提訴して、賠償金を受取り、淘宝網にてオンラインショップを設け、これまで一人で自分の翻訳会社を運営してきた。会社設立直前に、観光ガイドをしている方から、翻訳業界は安過ぎて、とてもじゃないけどやってられないぞと言われたが、果たして、その通りであった。裁判の一応の終結により、家賃の値上がりが続く浦東金橋地区に留まる必要もなくなり、2018年に長江デルタの中洲である長興島に転居した。2022年の上海ロックダウン期間中は、都市部ではないので、村単位での封鎖であり、実質的に村内は出歩くことができたが、隣村にある銀行ATMに赴くのが困難であり、村内にある中型スーパーマーケットは長期にわたって営業せず、1か月間の食品購入費用が路上で購入したジャガイモと玉ねぎ数個で合計5.6元(100円強)のみという記録を打ち立てたりもした。ロックダウンが明けると、今度は立ち退きに遭って、村の数分の一の面積が廃墟になるとのことで、夏の炎天下の中、引っ越し先を探し回ったが、同時期に大勢が引っ越しをするため、大変困難であった。さらには、外国人のブロードバンド開設では選べる選択肢が狭いということもあり、結局、1か月余りの間に、合計3回も引っ越しすることとなった。荷物は中古自転車を購入して、全部一人で運んだ。

このような厳しい背景の下、偶然ではあるが、2022年2月のロシアによるウクライナ攻撃開始日から著作権確認作業を始め、遂に2023年7月、国共内戦末期に台湾に逃れたリベラル派のリーダーである殷海光先生が1948年に上海で出版した「中国共産党之観察」を翻訳出版した。ただ、私は長年海外で暮らしているため、日本のマイナンバーやクレジットカードがないことや、また、一部のプラットフォームでは書籍内容が政治的で選挙結果に影響を与える可能性があるとの判断により、日本国内の住所・携帯電話番号の7年間公示を求められたりするため、広告を投入するのが難しかったりする。一方、一般の翻訳業務はロックダウン明けに逆に激減し、低迷したままである。日本国内のクラウドソーシングプラットフォームを見ても、翻訳案件は元々少ないし、相変わらずであるが、たとえ数日間を費やしても数千円とか、数百円程度にしかならないようなブラック案件が並んでいる。こうした中、7月から改定された上海社会保険料の金額は、労使双方の保険料を合計すると、下限の最安金額でも、最低賃金の金額を上回るような逆転現象が生じている。ただし、最低賃金金額には個人が負担する社会保険料分は含まれないようである。なお、日中社会保障協定は2019年に発効した。私にとっては今更ではあるが、これにより、一定期間内の駐在員の二重納付が避けられることとなったため、現地採用労働者の現地社会保険への加入を阻む力は減少したはずである。2013年の労働仲裁判断は、2011年に中国社会保険法がすでに施行されていたので当然の結果ではあるが、国際人権規約に関連条項があり、闘争を通して、国籍条項・国籍制限を突破して、中国大陸に対しても有効であることが確認できたとも言えよう。

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