安藤正楽顕彰事業としての平和人権先覚者の碑建立についての提言
現在、日本国内においても、人権問題は存在するものの、個々のケースは、自己責任や個人の問題ということにされがちで、実際に問題に遭遇して嫌な思いをしてみないと、社会問題として、なかなか意識させられることはないかもしれませんが、視線を世界に向けてみると、「人権闘士」という四文字を意識させられることがあります。それゆえ、視線を再び日本国内に戻して、日本で人権闘士と呼ぶのに相応しい代表的な歴史人物には、一体誰が挙げられるのかと考えることがあります。ちなみに、約25年前にもなりますが、「人権立国」が提唱された台湾での留学時代に、「広島の良心」に対して、「台湾の良心」と呼ぶに相応しい人物を挙げるとしたら、誰が思い浮かぶかと中国語教師に尋ねてみたことがありました。年配の外省系(国共内戦に敗れて大陸から台湾へ撤退、もしくは避難した大陸出身者およびその子孫)の先生の回答は、良心は各個人の心の中にあるというものでした。確かに、おっしゃるとおりであり、個人崇拝を排した無難な回答でした。一方、台湾籍元日本軍「慰安婦」被害者を支援してきた台北市内の女性支援系財団法人の事務所を訪問してみたと、閩南系(歴史的に早い時期に対岸である中国大陸福建省南部から移住してきた移民の子孫)の中国語・台湾閩南語教師に、話題をふってみたこともありました。これに対して、日本社会が長期低落傾向を示し、種々の社会問題に直面しているのは、日本が反省を怠ってきたがために、戦時中に日本軍によって殺害されたアジア諸国民が日本人として生まれ変わって日本社会に復讐をしているからだと、台湾の高僧が嘗て語ったことがあるが、この言説に君は同意であるか否かと先生に聞かれたので、高僧は深淵なる道理を語っておられ、同意であると答えたことを覚えています。戦後、平和教育や平和学習等が熱心に実施された広島県とは瀬戸内海を挟んで対岸に位置する愛媛県は、第一次世界大戦の欧州の惨状を目にして、反戦平和に転じ、日米開戦や東京大空襲を早い時期に予測した元海軍大佐水野広徳や、日露戦争後に地元民が日露戦役紀念碑を建立する際に、「世界人類のために忠君愛国の四字を滅す」等といった文面の碑文を作成したり、同和問題等に取り組まれたりした元愛媛県会議員安藤正楽のような平和人権の先覚者を輩出しました。また、県庁所在地松山市は、議会で世界連邦平和都市宣言、非核平和都市宣言、人権尊重都市宣言という3つの宣言を決議したことがあり、戦後50周年記念事業として「平和・人権尊重モニュメント」を駅前に建立したという実績もあります。ただ、安藤正楽の知名度は、地元であっても、まだまだ高くないだろうと思われます。つきましては、戦後80周年にあたり、人権立県愛媛を世界に宣伝でき、地域振興等にも繋がる安藤正楽顕彰事業としての平和人権先覚者の碑の建立をここに提言させていただきます。
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