2024.11.04 06:48世界人権闘士記念碑(碑文草案初稿)私は日本語を母語としており、1996年より大陸普通語を第二外国語として学び始め、「人権立国」が提唱された2000年から2002年に台湾で華語を学び、その後、2008年より上海で暮らしておりまして、おかしな文法や表現等もあるかもしれませんが、今回は敢えて先に中文を作成してから、後から日本語文を作成して、さらに推敲を重ねてみました。誤りのご指...
2024.10.03 03:45宜興人文之林儲安平衣冠塚、団氿風景区2024年3月、前年に繋がった上海地下鉄と蘇州地下鉄を乗り継いで蘇州方面へ向かう機会があったので、ついでに、蘇州から無錫経由で宜興へ行ってみました。宜興の郊外にある共同墓地内に、地元出身の著名人が祀られている人文之林と名付けられた区画があり、そこに儲安平衣冠塚があるということなので、そちらに向かいました。共同墓地内に入ると、上海市副市長等...
2024.09.26 10:13台南日本軍「慰安婦」少女像の撤去について6月に雲南省から上海長興島に戻って来た後、台南市日本軍「慰安婦」少女像の関係者3名に対して、Facebookと電子メールにて、少女像移設問題の現在状況を問い合わせる内容のメッセージを送信させていただいておりましたが、回答はないままでした。日本軍「慰安婦」メモリアルデーである8月14日夜に、ネット上で関連記事を軽く検索してみた際には、少女像...
2024.09.16 08:00台北自由墓園、政治大学雷震記念館・研究センター9月16日は殷海光忌にあたりますので、2024年2月に撮影した写真をもとに、殷海光先生の墓がある自由墓園に関する動画を作成してみました。自由墓園は台北市南港区に近い南港墓園内にあり、住所からいうと、新北市深坑区(旧台北県深坑郷)になるのでしょう。南港方面から向かうこともできますが、今回は台北MRT木柵線からバスに乗り換えるルートを選びまし...
2024.08.31 23:40新居浜金子山神風特攻隊敷島隊員の墓等金子山の展望台から北側を見渡すと、眼前に広がるのは、住友グループの工場群、瀬戸内海燧灘とそこに浮かぶ島々、さらには対岸の中国山地。翻って、南側を見渡すと、中央構造線に沿って連なる急峻な四国山地石鎚山脈。南海大地震のような自然災害をもたらしたりもする造山運動ですが、これがないと、日本列島はそもそも存在しなかったかもしれませんね。また、海の色...
2024.07.29 05:49別子銅山中国人殉難者慰霊之碑1691年から1973年まで採掘された別子銅山は、日本三大銅山の一つであり、戦時中には、連合国の戦争捕虜、さらには、中国や朝鮮半島から強制連行された方々が強制労働に従事させられて命を落とすケースが少なからずございました。今回、時間の関係により、廃線後にサイクリングコースとして利用されている別子鉱山鉄道跡に途中から入って南下し、愛媛県新居浜...
2024.07.19 10:55渡緬記者長井健司氏の墓ミャンマーの民主化運動と言えば、1988年の8888民主化運動が有名ですが、2007年のサフラン革命においては、愛媛県今治市出身の長井記者がヤンゴンで取材中に軍の兵士によって射殺され、その後、長い年月を経て、カメラが遺族の手元に返還されたというニュースは記憶になお新しいものがあります。2024年1月、約7年ぶりとなった帰省時に、同じ愛媛県...
2024.03.22 14:53京都赤松小三郎先生遭難の碑等大阪釜ヶ崎の宿泊先を出発して、日本橋、難波方面へ進むと、やはり思わず、いろいろな場所に立ち寄ってしまい、京都に向かうのが遅くなって、赤松小三郎先生の墓がある金戒光明寺等、先生ゆかりの他の歴史スポットへ行く時間がなくなってしまいました。とりあえず、今回は時間の関係により、薩摩藩士で先生の門下生でもあった桐野利秋等による先生暗殺の地に設置され...
2024.03.20 02:00日本国内ミャンマー支援団体への問い合わせ(省略)、海外での活動はタイの泰緬国境地域がメインであるようですが、雲南省中緬国境地域での活動実績はないのでしょうか?もちろん、昨今の国際情勢や近年導入された海外NGOの中国当局への登録制度等、一定のリスクはあるのでしょうが、ニーズはあると思います。たとえば、やっとの思いで中国に入国したけれども、仕事が見つからず、滞在期限が迫っており、困...
2024.03.09 14:03台南日本軍「慰安婦」少女像の移設問題2月下旬、十数年ぶりに台湾本島に旅行で戻った際、台南市慰安婦人権平等促進協会が2018年に中国国民党台南市党部の傍らに「慰安婦」少女像を設置したものの、さほど時間を経ずして、少女像が立地する土地が裁判所の競売によって落札され、落札者から5年以内に少女像の移設を求められているという情報に接しました。そこで、各関係部署に問い合わせた後、当該協...
2024.02.13 07:55上海から大阪釜ヶ崎へ2024年1月、約7年ぶりに日本に一時帰省いたしました。コロナの一件によって運休していた上海・高松便が再開後僅か数週間で再度の運休となり、やむを得ずという面もありますが、とりあえず、十数年ぶりの大阪訪問となりました。搭乗した飛行機は、上海浦東空港から長興島、そして、高縄半島から荘内半島、高松空港、淡路島近辺の上空を飛びました。座席は左側だ...